はじめに
こんにちは、スーパー四心です。
私は金色のガッシュ!!の直撃世代で、青春時代をガッシュと共に過ごしました。
当時入り浸っていたガッシュ系サイトの管理者や常連の多くも同世代で、チャットや掲示板での交流を楽しみました。
学校から帰ればすぐにパソコンを立ち上げ、お気に入りのサイトにアクセスし、チャットルームに入る。
待ち合わせなんてしなくても友達が集まって、楽しい会話をたくさんして、親に隠れてドキドキしながら電話をしてみたり、甘酸っぱい恋に落ちたり…。
ガッシュが人生と強烈に結びついた数年間が存在しました。
我々はなぜ、ここまでガッシュに夢中になったのでしょうか。
- ストーリーやギャグが面白いから
- 友達と話しができるから
- 自己表現になるからなど…
色々な理由が思い浮かびますが、大人になった今だからこそ言語化できることもあると思います。
あの頃、インターネット上に存在した「ガッシュに夢中になった少年少女たち」はどんなことを考え、何を感じていたのか。解説していきます。
2000年代初頭のインターネット事情
2001年のADSL開始から、各家庭へのパソコンの普及が急速に進みました。
パソコン本体や通信料も値下がりはじめ、本格的に一家に一台の時代へ進んでいきます。
それまで大人の趣味であったパソコン、インターネットは急速に子供たちに普及し、子供たちの眼前には新しい世界・文化が花開きました。
金色のガッシュ!!の連載開始も2001年ですから、子供たちがネット社会に足を踏み入れ、ファン同士の交流を求めるのは当然の流れだったかもしれません。
当時ガッシュサイト界にいた子供たち
とはいえ、日常的にパソコンを使用してインターネットを楽しむ子供は珍しく、どちらかといえば学校でうだつの上がらない、大人しいオタク気質な子供たちの使用にとどまりました。
電車男が2004年ですから、まだまだアニメや漫画、特にインターネットカルチャーに対する風当たりは強い時代でした。現代のように誰もがスマホを持ち、SNSで自己表現できる時代はまだまだ先のこと。
子供たちは学校では上手くいかない自己表現をするために、インターネット上に居場所を求め、そして見出していきました。
生き辛さを抱えたこどもたち
さて、当時インターネット上に存在した多くの子供たちは、今風に言えば陰キャです。
学校に馴染めず、友人づきあいも少なく、アニメや漫画を心のよりどころにしていた子供たちです。
ガッシュサイト界にも学校に馴染めず、リアルな友達付き合いを苦手とする子供たちが大勢いました。
子供たちにとって、学校は社会と接する唯一の場です。学校に馴染めないことは社会から見放されるような気がしたかもしれません。
自分と高嶺清麿との同一視
ここに刺さったのが、学校に馴染めず、友人のいない高嶺清麿です。
清麿は天才ゆえに友達に妬まれ、中学校生活を楽しむことができません。
「学校に馴染めない生き辛さを感じているのは自分だけではない」
ここに、子供たちが清麿と自身を同一視する強烈な理由が存在します。
さらに、インターネットにアクセスすれば自分と同じ気持ちを抱えたファンがたくさんいます。
子供たちは初めてコミュニティに属することができ、自分の居場所を見出していきます。
実は”気づいている”清麿と子供たち
そんな清麿と自身を重ねる子供たちですが、「このままではいけない」ことに気づいています。
清麿と同世代の中学生ならなおさら。高校受験というリアルなイベントが待ち受けています。
「キッカケがあれば、変わりたい」
この気持ちは清麿と子供たちの中に確かに存在して、キッカケを待っている状態です。
そのキッカケになるのが清麿にとってのガッシュ・ベルであり、子供たちにとってのインターネットです。
金色のガッシュ!!という物語の果たす役割
金色のガッシュ!!の物語は、清麿がガッシュという友人を得て、本来の自分を取り戻していく物語です。
LEVEL.1で金山が発した「自分が常に一番」「自分以外は全部クズだと思っている」は真実ではありません。
本当の“冷たい人間”であれば、わざわざ屋上に行ったり、他人の心配をしたりはしないでしょう。
清麿は本来、友人とは良好な関係を築けるし、泣いたり笑ったり怒ったりすることができます。
だからこそガッシュの言葉に涙を流し、金山に立ち向かい、その金山とも良好な関係を築くことができます。
清麿は素直で思いやりがあり、優しくて熱い男です。このことはガッシュの口から圧倒的な説得力で語られています。
LEVEL.1において描写されたシニカルな清麿は、本来の清麿でないことが間接的に描写されています。
それを読む子供たちも、自分が周囲に何かを隠して生きていることを自覚していきます。
「今の自分は本当の自分ではない」
この点においても、子供たちは自らと清麿を重ねていきます。
「本当の自分を生きたい」という気持ち
清麿はガッシュという最大の理解者を得て、本来の自分を取り戻していきます。
そして、子供たちはガッシュという物語を通して気づきます。
本当の自分を生きて良いのだ。好きなものを好きと言って良いのだ。
つまり、学校に馴染めないことが問題なのではなく、自分を抑圧して生きるのが問題なのだと気づきます。
そこへやってきたのがインターネット、金色のガッシュ!!のファンサイトをはじめとするコミュニティです。
子供たちはその中で「友人」という理解者を得ます。
子供たちはファンサイトでの交流を通して自己表現を学んでいきます。
ある者はイラストを描き、ある者はゲームを作り、ある者は複数サイトで名の知れた有名人になりました。
清麿がガッシュを通して変わったように、子供たちはインターネットを通して変わっていきます。
ガッシュが学校の代わりになる
学校の役割は「自己と他人を分けて考え、集団の中で上手く適応する社会性を身に着けること」です。
しかし、当時の子供たちは学校でそれを果たすことができませんでした。
友人も少なく、学校に馴染めず、授業が終われば逃げるように帰宅する毎日を過ごしている子供たち。
中には不登校もいたことでしょう。実際、私も中学校はほとんど行っていません。
そんな子供たちにとってインターネット上のコミュニティは、何者にも代えがたい”居場所”でした。否定されることもなく、好き同士が集まって楽しい時間を過ごせる居場所です。
ガッシュが好きなあの子、ブラゴが好きなあの子、ハイドが好きなあの子。
北海道のあの子、長崎県のあの子、岐阜県のあの子。
あの子はプリキュアも好きらしい。2つ年上のあの人はエヴァンゲリオンも好きらしい。
自分と他人の違いを認識し、お互いに認め合って上手いことやっていく。
子供たちはインターネット上の交流を通して色々なことを学び、社会性を身に着けていきます。
子供たちにとって楽しさは抗えない魔力を持っています。他人との交流を初めて楽しいと感じ、自己表現が許されるインターネットは、心の拠り所として強烈に根を張っていきます。
まとめ
- 子供たちは学校に馴染めない自分と清麿を同一視した
- ファン同士が集まったインターネットで初めて他人との交流を楽しいと感じた
- 本当の自分を出して良い、自己表現が許されることを知った
- 自分と他人の違いを認識し、他人を認めることを知った
- 清麿にとってのガッシュが、子供たちにとってのインターネットだった
2000年代初頭、ガッシュと共に思春期を過ごした子供たちの心理は概ねこんなところではないでしょうか。
あくまで私自身と、私が属したコミュニティの傾向ではありますが、そんなに遠くないと信じています。
当時の思い出について詳細に語れる方がいらっしゃいましたら、お問い合わせフォームやXからご連絡頂けますととても嬉しく思います。