本記事では『金色のガッシュ!!2』に登場する新呪文「ウィビラル・ザケル」について、旧作との整合性や設定上の疑問点を踏まえた考察を行っています。読者の皆様が物語をより深く楽しめるよう、詳細な描写とセリフをもとに読み解いていきます。
こんにちは、スーパー四心です。
『金色のガッシュ!!2』において、新呪文の発現はそれほど多くありません。Page.31時点で、新たに登場した呪文は下記の3つです。
- キャンチョメ「モ・ポルク」(Page.9 37~38P)
- ガッシュ「ウィビラル・ザケル」(Page.24 14~15P)
- ウマゴン「シュポック」(Page.29 11P)
今回の考察は、「ウィビラル・ザケル」のシーンに既視感があったところからスタートしています。では、呪文を唱えるという行動について見ていきましょう。
本筋とはあまり関係ない考察
先に挙げた3つの新呪文の内、ウマゴンの「シュポック」は、旧作未登場ながら習得していた可能性があります。根拠は薄いですが、3つの理由から、シュポックは旧作で習得済みだったと私は判断しています。
- サンビームがシュポックの呪文に驚いていない
- Page.31で躊躇なくシュポックを唱えている
- 「術のビン」から新呪文が出現したことは1度もない
術のビンは「その時習得していた術」が奪われて、ビンに保存されているはずです。術のビンに関する考察はこちらの記事をご覧ください。

ここから本来の考察
魔物が新しい術を習得する条件
魔物が術を習得する条件は、旧作で明らかにされています。
魔物の子が本来もつ、”眠っている力”…
それが目覚めたとき、本に呪文として現れるだけ!(5巻 LEVEL.96 315P)おまえの中には無限の可能性が眠っている。
おまえ自身が、その可能性を信じてやるんだ。(5巻 LEVEL.96 317P)
これはガッシュがラウザルクを習得する回のセリフです。
ガッシュの体の中には「術:ラウザルク」は既に眠っており、ガッシュがそれに気づいた(=自分はもっと強くなれると信じた)ことをキッカケに、「呪文:ラウザルク」が本に現れました。
第六の術…ラウザルク!!!(5巻 LEVEL.96 319~320P)
他にも、魔物の決意や思いが新呪文に繋がったシーンは、無数に存在します。
- キャンチョメ「ディカポルク」(5巻 Page.87 149P)
- ウマゴン「ディオエムル・シュドルク」(9巻 Page.174 281P)
- ティオ「チャージル・セシルドン」(14巻 LEVEL.266 90P)
これらの描写、旧作における設定を考慮に入れて、「ウィビラル・ザケル」が出現したシーンを読み返すと、ガッシュの決意(思い)が見えてきます。
いいな!!お前ら!!!いい目だ!!!
その状態でオレを確実に殺そうとしている!!!
それでこそ…オレが来たかいがあるって奴だっ!!!(Page.24 8~9P)
このシーンにおけるガッシュの決意は「ヘムを殺す(倒す)こと」です。
清麿のセリフを借りれば、これが「ウィビラル・ザケル」習得のカギとなった、「無限の可能性」です。ガッシュは王として、相手の命を奪ってでも魔界を守ると決意したかもしれません。
説明すると長くなるので読み返して欲しいのですが、ブルーに対する非道な行いに激怒し、無理やり戦わせたことが原因の可能性はあります。明らかなのは、ガッシュと清麿はこのシーンで明確に「ヘムを排除する」と決意したことです。
王ならば民を殺そうとする者は止めねばならん
必要ならばその命を奪ってでもだ(Page.16 27P)
以上が、ガッシュ2における新呪文を、旧作の設定とすり合わせながら解釈したものになります。無かったことになった設定はないので、今後も「決意」が新呪文習得のカギになります。
ここまでが前置きです。

ウィビラル・ザケルの違和感
清麿は本を開いていない
ガッシュと清麿がヘムに殺意を持ち、ウィビラル・ザケルが発現したとき、清麿の持つ赤い本には、「ウィビラル・ザケル」の文字が現れたはずです。
しかし、清麿は本を開かずにウィビラル・ザケルを唱えました。本に現れた(であろう)文字を見ず、本を閉じたまま唱えたのです。ちょっと不自然です。
もちろん、本を閉じたまま呪文を唱えるシーンは存在します。(1巻 LEVEL.3 80P、12巻 LEVEL.230 172P 15巻 LEVEL.288 100Pなど)
ポイントは、「本に書かれた呪文」は、「文字」に過ぎないということです。
「ザケル」という呪文は、清麿が赤い本を持って唱えることで、効力を発揮し術が出ます。そして、呪文は暗記さえしておけば、文字を見て音読する必要はありません。術が出る条件は、「本に触れていること」だけです。
混乱するかもしれませんので、いったん整理します。ポイントは2つです。
- 呪文は本に現れるが、覚えてしまえば文字を直接見る必要はない
- 呪文を唱え術が出る条件は、本に触れていることだけ
ここまで大丈夫でしょうか。続けます。
そして、我々はこの、「新呪文なのに本を見ずに唱えている」シーンを、もう一つ知っています。
旧作で描かれた唯一のシーン
僕の新しい呪文が本に出たんだ。
きっとその呪文は、みんなと博士を守ってくれるよ。(7巻 LEVEL.136 311P)(中略)
ミコルオ・マ・…ゼガルガ…(7巻 LEVEL.136 312P)
キッド送還時の「ミコルオ・マ・ゼガルガ」のシーンです。
石板編における号泣ポイントの一つですが、このシーンでナゾナゾ博士は本を見ていません。博士は突っ伏して倒れており、右手に握られた本は燃え尽きる寸前。新呪文を目で見ていません。こちらも不自然です。
私の知る限り、新呪文を見ずに唱えたのはミコルオ・マ・ゼガルガとウィビラル・ザケルの2回だけです。他の新呪文は全て、「本でまず文字を確認」してから唱えています。
2つのシーンの共通点
この2つのシーンには、共通点があります。
それは、清麿、ナゾナゾ博士ともに「術を見る前から呪文の効果を知っている」ことです。これについて、サンビームがとても優秀な解説をしてくれていますので、引いてみましょう。
私達は今まで、新しい呪文が本に現れても、それがどんな効果の術なのかわからない。
使ってみて初めてその術の内容を知る。(13巻 LEVEL.255 251P)
ここまでハッキリ明言されている以上、これは絶対の設定です。私は雷句誠を信頼しているので、これは絶対に覆せない掟と断言できます。
キッドの1例のみであれば、魔物とパートナーの絆を示す奇跡として素通りできました。しかし、ガッシュがウィビラル・ザケルを習得した以上、これは前例のある現象になってしまい、「奇跡」で片づけることはできません。
雷句誠が設定を間違えるはずがありません。清麿が本を見ずに呪文を唱えたことには、絶対に意味があります。
ありそうな説を考える
ではここから、2つの「奇跡」を説明するために考えていきましょう。
①奇跡
まず、どちらの現象も「奇跡」で片づけてしまうのが、一番手っ取り早く済みます。キッドにせよ、ガッシュにせよ、2つのシーンは明確に「決意」が描かれました。キッドは「みんなを守る」、ガッシュは「ヘムを殺す」です。
魔物の強い気持ちが奇跡を起こし、新呪文が発現。パートナーの心にも直接伝わって、2人は「本を見ずに」新呪文を唱えた…作劇としても美しいし、『金色のガッシュ!!』という物語性を損なわない、良い解釈に見えます。
しかし、私は納得がいきません。
私は雷句誠を信用しています。彼の設定の精密さはハッキリ言って異常です。「術」と「呪文」の使い分けに始まり、「魂」と「命」のに至るまで、単語一つ一つに明確な意味があるからです。


②本とパートナーの同期
正直に申し上げて、「奇跡」以上にスマートで納得感の強いロジックは、私には導けませんでした。しかしこれでも日本最大(自称)級のガッシュ考察ブログですから、何とか組み立てます。
こういう時は基本に立ち返ると決まっています。清麿のセリフを振り返りましょう。
魔物の子が本来もつ、”眠っている力”…
それが目覚めたとき、本に呪文として現れるだけ!(5巻 LEVEL.96 315P)
作中でイチ早く、魔物が新呪文を習得する条件を解明したナゾナゾ博士のセリフも引いて見ましょう。
魔物が心の成長をはたしたとき…
何か大切なものに気づいたとき…その力は目覚める。(5巻 LEVEL.98 355P)
キッドもガッシュも心の成長を果たし、大切なものに気づいているように見えます。この点の整合性は取れており、やはり新呪文発現の条件は疑う余地がありません。もう少し進んでみましょう。
問題は「人の心に反応するという、本の機能」…
そして「魔物に眠る底知れぬ力」…この二つが最大の謎だ!!(5巻 LEVEL.98 356P)
本がパートナーの心に反応するということは、パートナーもまた本に反応するかもしれません。
つまり、魔物・本・パートナーの気持ちが完全に一つになったとき、本に出た呪文は文字を見ずともパートナーに伝わるという考えは、いささか飛躍しすぎでしょうか。
…これって奇跡じゃね?
いえ、だとすると、キッドとガッシュにしか起きなかったのは不自然です。
例えば、ティオの「チャージル・セシルドン」習得のシーンはどう見ても魔物・本・パートナーの気持ちが完全に一つになっています。しかし、恵は本を開いて呪文を確認してから唱えました。(14巻 LEVEL.266 90P)
ブラゴの「ニューボルツ・マ・グラビレイ」習得シーンでも、シェリーは本を確認してから呪文を唱えています。(15巻 LEVEL.286 68P)
起きてもいいはずのシーンで、起きていません。何とか組み立てましょう。
③キッドは奇跡、ガッシュは新設定の可能性
現状で一番可能性がありそうなのが、こちらの説です。
キッドの「ミコルオ・マ・ゼガルガ」は奇跡として割り切ります。旧作全323話中、1回こっきりしか登場していない本物の奇跡です。ここは諦めます。
しかし、ガッシュの「ウィビラル・ザケル」は事情が違います。今のところ2回しか登場していませんが、違いを以下にまとめます。
Page.24のウィビラル・ザケル
- 呪文を唱える前から光球が出現(10P)
- 本が光り、清麿とガッシュの目の色が変わる(13P)
- 光球が形を変え、術の姿を現す(13P)
ここまでは呪文を唱える”前” - 清麿が呪文を唱え、術の効果が発動する(14~15P)
- 術が消えると目の色は元に戻る(21P)
- 二人は無意識に術を発動したことを示唆(21P)
Page.30のウィビラル・ザケル
- 呪文を唱える前にガッシュの手が光る(13P)
- 呪文を唱える(14P)
- 前回と姿が違うことに二人が戸惑う(14P)
- 光球は出ない
- 目の色も変わらない
- 無意識ではない
そして、Page.26において、清麿がこんなことを言っています。
オレはちょっとおかしかった
この新しい術が出たことに 全く気付いてなかったのに
本も見ないでこの術を唱えていた(Page.26 14P)
やはり本を見ずに新呪文を唱えるのは異常です。私の違和感が気のせいでなくて安心しました。
そして、「術を唱える」という日本語は不自然です。
ガッシュ世界において「動詞:唱える」の目的語は常に「名詞:呪文」でした。術を唱えるという表現は、ここで初めて出現します。誤用か、新設定か?修正されるのか、本当に術と呪文は同義なのか、議論が必要なセリフです。
それでその呪文を今見ると
確かにその呪文はあるが「あの時の力」がそのままある様に感じない(Page.26 15P)
これは、後にPage.30で威力が弱いことの伏線であると思われます。「力が抜けている」から光球が出ず、目の色も変わらなかったのだ、と理解できます。
そして、このシーンにはガッシュが見た「雷の竜の夢」という、これまた難解そうな伏線が貼ってあります。
可能な限り矛盾が出ないように考えると、Page.24のウィビラル・ザケルは、雷の竜がガッシュと清麿を操って使用させたと考えられます。
何度も書きますが、私は雷句誠を信用しています。雷の竜は間違いなくバオウ復活のカギです。
そう考えると、ウィビラル・ザケルを使い続けることで雷の竜が成長し、ダウワンからの遺伝ではない、ガッシュ本来の力が目覚めたバオウ・ザケルガが生まれる…と言った、新しいパターンかもしれません。
まさに、雷の竜の「卵」というわけです。

結論!!
🧠 まとめ
- 清麿とナゾナゾ博士が「本を見ずに新呪文を唱えた」のは、『金色のガッシュ!!』シリーズで唯一の現象
- キッドの「ミコルオ・マ・ゼガルガ」は“奇跡”として納得のいく特別演出
- ガッシュの「ウィビラル・ザケル」は、描写の差異や夢の伏線から、新たな設定・成長型術の可能性が高い
- Page.24で出現した光球は「雷の竜の卵」であり、「ウィビラル・ザケル」を使用することで雷の竜が成長
- この成長の先に、ダウワン由来ではない、ガッシュ本来の「バオウ・ザケルガ」が誕生すると考察
🔍 次回考察への導入
「雷の竜の卵」の設定から、「術自体が成長しバオウになる」という考察をしました。「本を見ずに新呪文を唱える」シーン、他にもなかったか…?という疑問が出発点になり、随分壮大な記事になってしまいましたね。
次回はもう少しライトに、「心の力」について考察していきたいと思います。皆さんの考えや意見があれば、是非コメント欄やXで教えてください。刺激や励みになります。
🧠 他の考察も気になる方へ
『金色のガッシュ!!2』に関する考察記事をテーマ別にまとめました。

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