なぜ金色のガッシュ2はつまらないのか

こんにちは、スーパー四心です。
2022年3月14日にPage.1が配信開始して以来、現在Page.31、紙の単行本は5巻まで発売されている、金色のガッシュ!!2。

私も当然毎月追っており、電子版も紙の単行本も両方購入していますが、ここ数か月どうにも拭えない気持ちが私の中に現れては消え、現れては消え…。この形容しがたいもやもやが無視できなくなったとき、私は思ってしまいました。

ガッシュ2、つまんなくね…?

今回はこの奥歯に何か挟まったような「つまらない」の気持ちを言語化していきたいと思います。

目次

なぜガッシュ2は生まれたのか

完璧に終わった旧作を主観で振り返る

そもそもの前提として、旧作『金色のガッシュ!!』は、少年漫画として文句のつけようがないほど完璧に終わっていました。

100人の魔物の子とそのパートナーが、魔界の王の座をかけて最後の一人になるまで戦う…。
この設定の終着点は「魔界の王の決定」です。そして、タイトルが「金色のガッシュ」で主人公が「ガッシュ・ベル」である以上、ガッシュが王になるのはLEVEL.1から決まっている

であれば、その過程を楽しむのがこの作品の楽しみ方です。
旧作はその過程を、ほぼ完璧に描き切りました。ガッシュの魅力については過去に語っていますので、そちらもご覧ください。

努力・友情・勝利という少年漫画の王道を損なわず、シリアスの中に適切に差し込まれたギャグが、血で血を洗う戦いの残虐さを打ち消しています。

また、精神的に重い話のあとは振り切ったギャグで読者の空気をリセットしているのも特徴です。
空気をテンポよく切り替えることで「ガッシュと読者が同調」し、少年漫画らしい明快さを打ち出しています。

例えば、石板編後のコーラルQの登場は、空気のリセットとファウード編への橋渡しとして機能しており、「次は得体のしれない脅威なんだな」と読者に想像させる役目を担っていました。

そして、本が燃えれば魔界に帰る設定は「死を描かずに永遠の別れを表現」しており、魔物とパートナーの絆を丹念に描いてからの別れは、ずっと見守ってきたパートナーと読者の気持ちがシンクロし、何度でも泣かされてしまいます。

最終決戦であるブラゴ戦は短いながらも、負ける立場であるブラゴに十分な見せ場が用意されました。
作中で初めて見せるブラゴの笑顔に気付くシェリー。「まったくもって見事」と素直にガッシュを称えるブラゴ。そして「よくやった…シェリー」で描かれるブラゴの静かな口元。最初で最後の感謝の言葉…。

全てがパーフェクトなライバルの散り際であり、ガッシュが王になった達成感と、最強のライバルが消えてしまった喪失感がうまく調和した最終決戦です。

そして最終話、LEVEL.323の最後のシーンは「また会おう!ガッシュ。」と爽やかに空を見上げる清麿のカットで締めくくられました。寂しさと爽快感、そしていつか来る再会への期待を見事に融合した、完璧な幕引きです。

…だったはずなんです。

お金を稼がなければならない

それでも続編『金色のガッシュ!!2』は生まれました。
なぜか?理由は、お金です。

身もふたもないように聞こえるかもしれませんが、これは創作の現実です。
作家としての雷句誠先生を支えるスタジオやスタッフがいて、過去作の知名度に勝る看板がない以上、“一番売れる弾”としてガッシュをもう一度使うのは合理的な判断です。

“また会おう”のあとに再会があった。けれどそれは、私たちの望んでいたものとは少し違っていたのかもしれません。
いえ、私にとっては明確に違うものでした。私が見たかったものと、ガッシュ2はかけ離れています。

ガッシュ2はなぜつまらないか

ここから、ガッシュ2がつまらない理由をなるべく感情的にならずに述べたいと思います。

①そもそも望んでない

『金色のガッシュ!!』の物語は、長々書いたように完璧に終わりました。
続編など生まれようのない完璧な幕引きです。私は「外伝『友』」ですら、「弾撃つの早すぎん?」と感じました。(連載終了が2007年、外伝が2011年)

清麿の「また会おう!」は、作中での二人の絆を考えれば当たり前の台詞です。私は清麿の視点=読者の視点説を取っていますので、清麿が望むことは読者も望んでいると解釈します。

もう一度二人並んだ姿が見たい。「SET!!ザケル!!!」が見たい。一方で、もう戦わせないでやってくれ…という気持ちもあったはずです。

仮にガッシュと清麿が再会するとすれば、それは二人の仲でのみ起きる特別なイベントで良かったのです。
わざわざ続編として打ち出さなくても、一人ひとりのファンがそれぞれの再会を思い描き、胸の中で楽しめばそれで足りていたのです。

少なくとも私は、2022年時点で『金色のガッシュ!!』は十何年前に終わった伝説の名作であり、続編を望んではいませんでした。

②設定がまずい

なぜ、殺した?

テッドも!!チェリッシュも!レインも!!!ジギーも!!
王様だって死んじゃった!!!(Page.1 48P)

おい…誰がガッシュが死んだ話見てぇんだよ…。

旧作『金色のガッシュ!!』において、永遠の別れは本が燃えることで描写されていました。

死の概念を描かず、魔物と人間という種族の壁を効果的に使用し、お互い生きてはいるけど、もう会えない寂しさの中に、それぞれが気持ちを残すビターエンドとして機能していました。(ウォンレイとリィエンなど)

だからこそ、軽々しく命を奪ったことが私は許せないのです。

タイトル回収の話に戻りますけど、タイトルが『金色のガッシュ!!2』で主人公は「ガッシュ・ベル」です。そのガッシュ(王様)が死んだのなら、確定で生き返るに決まってます。そうしないと物語が始まらないからです。

Page.1でゼリィが泣きながら叫ぶシーンで使われているのが引用したセリフなんですけど、「どうせ生き返るのに、そんな必死にならんでも…」と冷めた目で見てしまうのは、私が年を取りすぎたからでしょうか。

なぜ、生き返らせた?

Page.4でガッシュが復活しました。

「魔本」という命の欠片 Page1!!!
第一の術…ザケル!!!(Page.4 45~48P)

このシーンを見たとき、確かに魂が震えました。

20年前に置いてきてしまった少年の自分が帰ってきたような気がしました。Page1の文字の色が全て変わっているところとか、ガッシュが術を出しても気絶しなくなっている成長とか、いろいろ感じるものがあったことは認めます。

ただ、それ以上に気になることが山積みでした。

『「魔本」という命の欠片』がまず理解不能です。そもそも、旧作『金色のガッシュ!!』全323話において、「魔本」と呼称されたことは一度もないのです。徹底して「本」と呼ばれています。まずここが気になりました。

次に、作中の描写を見る限り、命の欠片は明らかにゼリィとオルモの体から出てきており、魔本が命の欠片と読み取れる描写は一つもありません。

さらに、遺跡のミイラからガッシュが出てくる理由についての説明を完全に放棄しています。Page.31時点でもミイラが魔物として復活する理由の説明はなく、なぜ生き返るのか、生き返らなかったジギーとの違いは何か?という当然の疑問についていまだ納得のいく設定開示はありません。

そしてこれが最大の問題点ですが、どうせ生き返るならなぜ一度殺すのか。納得のいく説明や背景はありません。「突然魔界が襲われた」の一辺倒で押し切れるのでしょうか。20年前に作品を見届けた少年たちは、今じゃ30過ぎですよ…?

③シンプルにギャグが面白くない

精神を削る重いパートのあとには、日常シーンやギャグシーンを入れてバランスを取っていることは前述しました。
今作もそういったシーンは挿入されており、あくまで作風は変わっておらずガッシュの続編という体裁はあります。

しかしギャグが致命的に面白くないのです。

ちょっとうまく言語化できないんですけど、書いた奴は面白いと思っているネットの寒い小説みたいな感覚って言えば伝わりますか?読者が読みたいシーンじゃなくて、作者が描きたいシーンを無理やり流し込まれてる感覚って言えば伝わりますか?

具体的にどのギャグが…とかじゃなくて、全体的にそう。ブルー戦後のラスベガスのシーンとか、一刻も早くティオを助けに行かなければいけないのに挟まれる魔女のシーンとか、本当にひどい。

緊張と緩和みたいな緩急のつけ方って大切だと思うんですね。特装版6巻の感想で書きましたけど、華麗なるビクトリーム様は「笑えるが強い」という唯一無二の個性で、ギャグとシリアスを上手く調和させていました。

石板編は陰湿かつ凄惨なストーリーですが、華麗なるビクトリーム様の存在や、デモルト戦で決着のカギが「ガッシュに化けたキャンチョメ」である描写でバランスを取っており、子供向けのギャグを挟みつつもシリアスの邪魔をしない構成でした。

対してガッシュ2はのっけからガッシュが死んでいる凄惨かつ胸糞の悪いスタートをしておきながら、そのシリアスを掘り下げることなくギャグに逃げているようにしか見えないのです。

キツい導入で始めたならキツいまま描けば良いのです。読んでいるのはあの頃の少年少女ではなく、30過ぎたオールドファンなのですから、わざわざつまらないギャグを入れて「あのころ感」を出す必要はありません。

④シナリオが同じことの繰り返しでダレる

これを書いている6月現在、ガッシュ2はPage.31(第31話)までリリースされています。
ここまでのストーリーを振り返りましょう。

  • ピンチになる
  • 魔物が復活するまたはパートナーと再会する
  • よくわかんねぇけど2つか3つくらい術が使えるので、戦う

以上です。
ガッシュ、キャンチョメ、ティオ、ブラゴ、コーラルQ、ウマゴン全てこれです。

何が面白いんですか。

そりゃガッシュの復活は魂が震えましたよ。見たかった姿だ!って思いましたよ。でもそれって一回殺したから反動でよく見えてるだけじゃないですか。

冷静に考えたら「死ぬ必要あった?」ってなりますし、どいつもこいつもミイラから復活するんじゃあ、魔界ってもう滅んでるも同然じゃないですか。ここから入れる保険ありますか?

雑に殺して雑に生き返らせて「ほーら感動でしょ?エモいでしょ?これが見たかったんでしょ?」って、こんなひどい茶番見たことないですよ。だったら旧作読み返しますよ。

⑤遅い

月間連載かつお休みの月もあり、シナリオは同じことの繰り返しですから、3年も連載してるのに一切物語は進んでいません。「それらしい」描写はあります。旧作に登場しなかった魔物とパートナーとか。

でも魔界は依然ピンチのままだし、魔物の命はボールになってエヴァ旧劇みたいに集められてるだけだし、カードに侵略された版図を取り返したみたいな描写もありません。

本当に、この3年間殺された魔物が復活するシーンを見ているだけです。
さっきもちらっと書きましたけど、「書きたい」が優先されていて「読みたい」を届けてくれないのです。

私はつまんないギャグ描写よりさっさと術取り返せよとしか思いません。ブラゴが雑に殺されたのも納得していませんし、ミイラの体で蘇って、どうせ本当の体を取り戻すエルリック兄弟みたいな話にするんでしょ?もう見えてるんですよ。30過ぎた大人なので。

それでも読んでしまうのは、なぜか

『金色のガッシュ!!』だからです。

展開は牛歩、ギャグはチープ、シナリオも見え見え。それでも読んでしまうのは、この作品が『金色のガッシュ!!』の名を冠しているからです。

作品として致命的に面白くない。

それは実際に数字にも表れています。

Page.1のamazonレビューは2万8千を超えていますが、Page.31では1000と少ししかありません。
ざっくり計算しても30分の1しか残っておらず、最新作まで熱心に追っているファンがかなり目減りしていることがわかります。

それでも私がこの作品を読み、考察を垂れ流し続けるのは、この作品がガッシュだからです。
言い換えると、思い入れの力で何とかなっているだけであって、作品が面白いわけではないのです。

ガッシュ2がこの先生きのこるには

私は漫画家でもなければ編集者でもないので、私の出す案は的外れかもしれません。
しかしガッシュを愛する者として、作者に届かないのは承知であえて言わせてください。

  • 連載を2週に1回にする
  • ギャグは華麗なるビクトリーム様が復活してから入れる
  • 女子会パートみたいな物語の進行に影響しないシーンはカットする
  • 雑に死んだまま眠らされているジギーとムームのお姉ちゃんを救済する
  • 復活してほしい魔物論争が起きるのは避けられないので、さっさと27体復活させる
  • 旧作未登場の新キャラは感情移入できず後付け感が拭えないので、物語の根幹に関わる部分だけにする

最後に

「作品として致命的に面白くないが、ガッシュだから何とかなっている」

ここまで長々と書き連ねていたことを集約すると、これが私の意見の全てです。
「SET!!ザケル!!!」が見たいから見てるだけです。だとするとそれは、もはや旧作で良くね?という、あまりに傑作だったが故の呪いのように、私の心をいつまでも縛り付けます。

私には正直、ここからガッシュ2が革命を起こして面白くなる未来は見えません。
「ここからどう面白くするんだ…?」という期間はとっくに過ぎ去ってしまっており、ガッシュ、キャンチョメ、ティオ、ウマゴン、ブラゴくらいは12話(連載1年)までに揃えておくべきだったからです。

それでも私は、毎月新作を買い続けるでしょうし、紙の単行本も買うでしょう。考察も続けていきますし、ガッシュ2を見捨てることはないと思います。

ただ、読み返せば読み返すほど「面白くねぇな…」という感想に落ち着いてしまうことが、残念でなりません。
ガッシュは私に少年時代を思い出させる作品であってくれ。そう願うことで、この溢れる気持ちに蓋をして締めくくりたいと思います。

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