ガッシュ 呪文 意味──そう検索した人に伝えたい、答えは「演出」です

こんにちは、スーパー四心です。
先日、『ガッシュ2』に登場する呪文の詠唱と、その“意味”について考察しました。

この記事で提示した結論は以下の通りです。

「キャラクターごとに個性はあるが、言語としては成り立たず雰囲気づけのために作られたでたらめ」

言語として整備された共通語彙や文法はなく、「それっぽい文字の羅列」に過ぎないというのが、私の結論です。
しかし、ここで新たな疑問が生まれます。“なぜ、意味を持たせず、意味がありそうに見せたのか?”

今回はこの疑問をベースに考察していきます。

目次

前作『金色のガッシュ!!』における呪文

本題に入る前に、まず前作『金色のガッシュ!!』における呪文の構造について確認しておきます。
なぜなら、前作では“ある種の法則性”が呪文に内在しており、それが“意味があるように感じられる”演出を支えていたからです。

対照的に、『ガッシュ2』ではその構造が崩れています。比較することで、“なぜ今回は意味がないのに意味ありげなのか”がより鮮明に見えてきます。

既に有志による解析と解説がなされており、ほとんどの方はご存じだと思いますので、こちらで詳細な解説はしませんが、以下にポイントをまとめます。

①基礎呪文に意味はありそうだが、特定は難しい

「ザケル」はガッシュの術として最も多く使われていますが、その語感や綴りから「雷」と直接結びつく意味を読み取ることはできません。

同様に「ギコル」「レイス」「ゼガル」「ラドム」なども、語感から属性を即座に判断するのは難しく、作中での描写を通して初めて理解できる構造になっています。

一方で、「アクル」はラテン語の“アクア(Aqua)=水”をベースにしていると考えられ、さらに「~ル」が放出系呪文によく使われるパターンと一致します。
また「ジュロン」は樹(ジュ)+ロン(long?)という語感的な連想がしやすく、植物系呪文であることは比較的明快です。

②呪文の強弱については意味がある

①は呪文の種類・属性(横の線)についてお話しましたが、今度は強弱(縦の線)のお話です。

例えば「ザケル」には、上位術の「ザケル」や「テオザケル」が存在します。前者が貫通力を高めた一直線に伸びるザケル、後者が高威力かつ広範囲のザケルといった呪文で、これらには明確に術としての強弱が存在します。

また、作中で明確にされた術のランクとして「ギガノ級」「ディオガ級」の2つがあります。
ギガノ級が中級ランクの術、ディオガ級が上級ランクの術という認識で概ね間違いありません。

例:「ゾニス」→「ギガノ・ゾニス」→「ディオガ・ゾニスドン」

③ 呪文の法則性はファン考察に近いが、あくまで非公式

その他、強化版呪文を意味する「ラージア~」や、肉体強化を意味する「~ルク」、回復呪文を意味する「ジオ~」などは明らかに法則性があり、ファン考察でもほぼ確定とされています。

しかし公式に明言があった(作中で使われた)のは前述のギガノ級とディオガ級のみということは留意しておく必要があります。

実際に法則に合わない呪文も相当数あり、例えばパムーンの最大呪文は「ディオガ・ファリスドン」なのか「ダイバラ・ビランガ」なのか?という解決不能な問題もあります。

このように、『金色のガッシュ!!』の呪文は、完璧な言語体系とは言えないものの、作中の魔法体系を支える“演出上の擬似法則”として設計されていたと考えられます。
それは“意味があるように感じられる言葉”を成立させる工夫であり、読者が無意識に受け入れるレベルで機能していました。

やたら難しい言い方をしましたが、ようするに「あ、〇〇の強化呪文だな」とか、「~オウだからこの魔物の最大呪文だな」と、容易に判断できる一定の法則があるということです。

では、ガッシュ2はどうか?

では、ガッシュ2ではどうでしょうか?

「ザケル」や「ギガノ・ゾニス」といった名前を見れば、なんとなく属性や強さが想像できた前作と違って、カード勢の呪文には、そうした“ピンとくる感じ”がありません。

『ガッシュ2』におけるカード勢力の呪文については、すでに前回の記事で言語としての構造を検証しました。

結論としては、共通語彙も構文規則もなく、言語体系としては成立していないというものでした。

しかし、ここで新たな問いが浮かびます。
なぜ、そんな“意味のない呪文”が使われているのか?

今回はこの問いを出発点に、雷句誠という作家の演出意図、あるいは創作姿勢そのものに目を向けていきます。

現実世界における「創作言語」の解読

通常、フィクション作品に登場する“創作言語”は、作中世界にリアリティを与えるために、ある程度のルールや意味を持って設計されていることが多く、作品のファンによって速やかに解析されるのが一般的です。

たとえば、『仮面ライダークウガ』に登場する“グロンギ語”は、当初は意味が明かされないまま放送されていましたが、ファンによって音声と字幕の対応から文法が解読され、辞書のような資料まで作られています。

同様に、『魔法少女まどか☆マギカ』に登場する魔女たちの“魔女文字(魔女語)”も、ファンによる解読が進み、アルファベット対応や翻訳表が共有されるなど、視覚的暗号から言語体系へと発展しています。

こうした“創作言語”は、たとえ作中で詳細が語られなくても、一定の規則性や意味を感じさせる“構造”があることで、読者や視聴者が自然と解析に乗り出すものなのです。

では、そうした言語的構造がまったく存在しなかった場合、それでも“意味がありそう”に見えるとしたら?
それは偶然ではなく、明確な演出として“意味ありげ”が仕込まれていた、ということなのかもしれません。

雷句誠がカード語に込めた思いとは

『ガッシュ2』のカード語には、明確な言語構造が存在しないにもかかわらず、意味があるかのように感じさせる工夫が随所に施されています。

たとえば、詠唱の語感に一定のリズムがあり、キャラクターごとに音のパターンが変えられている点。
また、呪文が唱えられる場面では、演出上の迫力や緊張感が強く演出されており、“何か重要な言葉が語られている”ように見えるよう設計されています。

これらを踏まえると、「意味を込めた」のではなく、「意味があるように見せかけた」ことこそが、創作上の目的だったと考えられます。

つまり、“構造のある言語”を作るのではなく、“構造があるように見える演出”を設計したということです。

じゃあ、なんでそんなことを?

意味がないなら、もっと適当に作ってもよかったはずなのに。
それでもここまで“それっぽさ”だけは丁寧に作り込まれてるの、正直ちょっと奇妙です。

もしかするとこれは、「どうせお前ら考察してくるんだろ?」「でも今回は無理だよ」っていう、雷句先生なりの皮肉交じりのいたずらだったのかもしれません

この構造を“言語”として読み解こうとする読者は、意図的に用意された“読み解けない罠”にかけられていた。
それこそが、雷句誠という作家の、批評性を含んだ演出的いたずらなのではないでしょうか。

つまり、雷句先生は「呪文=意味ある言語」という前提そのものを、いったん壊したかったのかもしれません。

解読される言葉ではなく、“演出そのものが言葉になる”ような仕掛けを設計した。それは、前作の呪文体系をあえて引き継がなかったこととも一致します。

🧠 まとめ

  • 『金色のガッシュ!!』では、呪文に“意味がありそう”な規則性が仕込まれていた
  • ファンはその擬似法則をもとに呪文を解釈し、物語世界の厚みに没入できた
  • 対して『ガッシュ2』のカード語は、解析不能な“でたらめ”でありながら、意味がありそうに感じさせる作りになっていた
  • その“でたらめの巧妙さ”こそが、雷句誠の演出の本質だった
  • 読者が「意味を読み取ろうとする行為」そのものを逆手に取った、“からかい”にも似たメタ的な罠
  • これは、作品に対して過剰に「意味」を求めすぎる現代ファンへの挑発でもある

🔍 次回考察への導入

「意味はあるか?」という問いに“答えがない”ことすら、物語のうち。
今回の呪文解析は、そんな雷句誠の遊び心と創作哲学に触れる機会になったと思います。
次回はもう一歩踏み込んで、“なぜこの続編は描かれたのか”という問いに向き合います。
物語の構造、死と再生、そして“なにを壊し、なにを残したかったのか”。そこに迫っていきましょう。

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