『金色のガッシュ!!』最終話で描かれたガッシュの手紙。その中にある「王を決める戦いは正しきものだった」という言葉に、違和感を覚えた読者も少なくないはずです。本記事では、その発言の背景を丁寧に読み解きながら、『金色のガッシュ!!2』で描かれる「厄災」との関係性から、新たな意味を探っていきます。
こんにちは、スーパー四心です。
『金色のガッシュ!!』LEVEL.323 最終話 ガッシュからの手紙において、ガッシュの手紙にこんな文言があります。
清麿、私は今になって思うのだが、この王を決める魔物同士の戦いは正しきものではないかと思ってる。
(16巻 LEVEL.323 363~364P)
まず、「思ってる」が超絶不自然です。ガッシュの口調なら「思っておる」が正しいので、誤記か、口語をそのまま書いたガッシュの幼さか見解が分かれます。
いえ、問題はそこではありません。ここです。
「この王を決める魔物同士の戦いは正しきものではないか」
コルルの件で慟哭し、ゾフィスに憤慨していたガッシュが、王になった途端テノヒラクルーしたのが、私はずっと疑問でした。自分が勝ったからオールオッケーってダブスタ過ぎん…?って、ずっと感じてました。
この唐突な手の平返しについて、『ガッシュ2』で起きた厄災のおかげで説明ができそうです。今回はそちらを考察していきます。

ガッシュと清麿の価値観
コルルの一件
まず、ガッシュと清麿が「やさしい王様」を目指すキッカケになったのは、コルルの一件です。(1巻 LEVEL.17~19)
心優しく、戦いを望まない魔物コルルは、無理やり戦わせるために別人格を与えられ、術の力で凶暴化します。王を決める戦いの非道さと、魔物は戦いから逃げられないことを表す重要なシーンで、序盤の号泣ポイントの一つです。
印象的なセリフを振り返りながら、ガッシュと清麿の戦いに対する姿勢を見ていきましょう。
争いたくない子も無理矢理戦わせるために別の人格だと…?
なんなんだ…この王を決める戦いは…
ふざけやがって…ふざけやがって…(1巻 LEVEL.18 356P)
また、石板編ではパティの語ったロードの所業について、このようなセリフで怒りを露わにしています。
ふざけるんじゃ…ねえぞ…
戦いたくない者の心を操って、無理矢理戦わせるだと!? (6巻 LEVEL.106 134P)私はそれをやられた者を知っておる…
その者は…いちばんつらい涙を流しておったのだぞ…
お主らはそれほどひどいことをしておるのだぞ!!!(6巻 LEVEL.106 135P)
これらのセリフからわかることは、「戦いたくない者の心を操って戦わせることは、許せない」です。これは、望まない者に戦いを強いることへの怒りであって、戦いそのものへの怒りではありません。
各編から見る戦いの目的
そして、ガッシュと清麿は、自ら戦いをけしかけることは決してありませんでした。
ガッシュの物語は大きく「邂逅編」「石板編」「ファウード編」「クリア編」に分かれますので、それぞれの戦う目的から、彼らの行動原理に迫ってみましょう。
邂逅編
次から次へと敵が襲ってきますが、目的は「守るため」です。何を守るのか…というのは戦闘によって様々ですが、いくつか例を挙げます。
- 自分の身を守る(レイコム戦、フェイン戦など)
- 自分の大切な人を守る(スギナ戦、バルトロ戦など)
- 自分の価値観を守る(エシュロス戦、バリー戦など)
こんな風に分類できそうです。この、「守る」という価値観は、以降でも一貫して描かれています。
おまえはやさしい王様になるんだ…
オレ達の戦いで関係ない人を傷つけちゃいけねえ…(5巻 LEVEL.90 208P)
石板編
石板編におけるガッシュと清麿の行動目的は、「千年前の魔物を戦いから解放する」ことです。その過程でロード(=ゾフィス)を倒す必要はありますが、ゾフィス打倒はあくまでシェリーの目的であることに注意が必要です。
かわいそうだ、あの者…
早く戦いから解放してあげようぞ!!(6巻 LEVEL.113 265P)
ファウード編
ファウードの脅威から「世界を守る」ことが目的です。
【例外】
モモン初登場回は清麿が率先して戦いをけしかけていますが、ギャグ描写として割り切り、清麿の価値観には何の変更もないものとします。
ガ——————シュ!!!表出ろ、戦いだー!!!
(中略)
じゃかーしー、あいつは、オレのズボンおろして川に突き落としたんだよー!!
あーゆーのを倒せねーと、王になれねーんだ!!!(10巻 LEVEL.184 86P)
【余談】
このシーン、清麿の勢いも好きですが、「あーゆーの」とわざと長音記号を使って表記したところに、雷句誠のギャグに対するセンスの良さを感じました。後の清麿復活シーンにおける「ザケルゥ!!!」や、「ダーッ ダーッ ダッ ダッ ゴ———ッ」にも同じものを感じられます。
日本を…世界を守る。必ずだ。(13巻 LEVEL.254 227P)
クリア編
言うまでもなく、「魔界と魔物を守る」ことが目的です。
そのためにクリアを倒す必要がある(=クリアに王になられては困る)だけで、クリア打倒が目的ではないことに注意してください。
絶対にお主に魔物は滅ぼさせぬ!!!
私の心にいる大切な者達の姿を、お主などには絶対に消させん!!!(15巻 LEVEL.289 124P)
ここまでのまとめ
いくつかのセリフを引きながら、ガッシュと清麿の行動目的について解説しました。
まとめると、彼らの行動目的は「守ること」で一貫しており、戦いそのものを目的としたり、楽しむような素振りは見られません。根拠となるセリフを挙げておきます。
オレ達、あまり戦い自体好きじゃないんだ。どうしてもって時は、戦うけど…(9巻 LEVEL.170 196P)
また、LEVEL.279で戦いを挑んできたアシュロンに対して、まずは話し合おうとする姿勢にも、二人が戦いを好まないことが表現されています。
石板編、ファウード編という修羅場を潜り抜けておきながら、あくまで「戦いは好きじゃない」という姿勢は、甘いとも思えますが、この甘さが「やさしい王様」への原動力になっていることは確かです。
だからこそ、私は最終話の「戦いは正しかった」という文章がずっと疑問なのです。
ガッシュの見解
ガッシュからの手紙を読み返す
さて、ガッシュからの手紙には、私の疑問に答える内容が記されています。まずは見てみましょう。
確かにこの戦いは、つらきことやひどいことがたくさんあった。
しかし、私はこの戦いで清麿と友達になれた。
協力できることの嬉しさを知った。悪い現実を良くしようと、話合える大切さを知った。
そして…どんなひどい現実でも、光り輝く心の姿を見ることができた。
この「神の試練」と呼ばれた戦いは、これからの千年を生きるため、こんな大切なことを私達に教えてくれるものではなかったのだろうか?(16巻 LEVEL.323 363~364P)
ちょっと長いので整理します。
- 友達(仲間)ができた
- 協力できることは嬉しい
- 話し合いは大切
- 酷い現実でも光り輝く心がある
- これらの大切なことを教えてくれるのが「神の試練=王を決める戦い」
だから、「この戦いは正しかった」と、ガッシュは言いたいわけです。
これはガッシュの考えとして重要なシーンではありますが、あえて現代風に言うならば「それってあなたの感想ですよね?」と言わざるを得ません。
つまり、「自分が嬉しい思いをしたから良かった」と言っているに過ぎません。100人に選ばれなかった魔物や、ウマゴンやコルルのように、戦いが嫌いな魔物の気持ちを無視しています。
もちろん、王になったガッシュの回想として成立させるために、戦いを通して王たる資質を育てることや、少年漫画的な努力・友情・勝利を肯定しなければならないという背景には留意する必要があります。
しかし、あまりにも独りよがり。他者の気持ちを無視した独善的な感想であると、私は感じました。
ガッシュの感情に寄り添い、厳しい戦いを勝ち抜いた勝者の意見として見れば、100点満点です。
一方で、「神の試練(王を決める戦い)」を100%肯定してしまえば、目的のためなら暴力を許容することになり、ガッシュの言う「やさしい王様」からはかけ離れていきます。
このように、情緒(感情)として見たとき、ガッシュの「戦いは正しかった」という感想は受け入れがたく、私は何かしらのフォローをずっと待っていました。

『ガッシュ2』におけるカード襲来に見る
厄災とパートナー・本・魔物の関係
この大きな矛盾を解決するかもしれないカギは、ガッシュ2にありました。
私は、遺跡と厄災の関係について考察した記事で、こう書きました。


私の考察では、厄災はおそらく1000年ごとに襲い来る、自然災害のようなものです。そして、魔界が厄災に立ち向かい、その脅威を退けるためには、本とパートナーの力が必要です。
そして、本に宿した術は敵に奪われず、パートナー・本・魔物の3つが揃ったとき、魔物は本来の力を発揮できます。

Page.16のアシュロンとティオの会話シーンからも、裏付けが取れています。
ティオ
本と大海恵が来て術を使えるようになって どう思った?こんなにありがたい力は無いと思った
奴らとの戦いにおいて不可欠(Page.16 29P)
「神の試練」は、厄災に立ち向かうための前哨戦
厄災は定期的に訪れる災害で、それに対抗するために、過去の王が遺跡を作り、石の本とミイラを隠しました。
しかし、遺跡を理解し使用するには、「本とパートナーの存在が魔界を救うという事実」を理解していなければなりません。それを知らないままでは、石の本やミイラの使い方もわからないからです。
そして、人間サイドも、「自分が本を手に持ち呪文を唱えれば、魔物は戦う力を有する」という事実を知っていなければ、魔界に協力する理由も道理もありません。
いったん整理します。
- 魔物:人間と本が揃えば魔界を救えることを知っていなければならない
- 人間:本と魔物が揃えば魔界を救えることを知っていなければならない
図にするとこうなります。

厄災そのものは、魔界を襲う脅威として止めようがないが、「神の試練」を乗り切った魔物とパートナーであれば、力を合わせて厄災に打ち勝てる。
だから、「神の試練=魔界の王を決める戦い」は非情で悲しいし辛いけれども、「正しきもの」なのではないか?
そして、その戦いを通して魔物と人間は協力し、本と術を使いこなし、気持ちを一つにする(=心の力)ことを学んでいくのではないか?
こんな風に解釈してみると、最終話でのガッシュの手の平返しにも、説得力が生まれる気がします。
🧠 まとめ
- ガッシュは最終話で「戦いは正しかった」と述べている
- しかし『無理やり戦わせること』には一貫して否定的であった
- 『ガッシュ2』においては「厄災」と戦うための準備として本とパートナーの意義が語られている
- 「神の試練=王を決める戦い」は、厄災に備えるための前哨戦だったと考えられる
- それゆえ、戦いの悲惨さを認めつつも「正しきもの」として受け入れるガッシュの言葉に整合性が生まれる
🔍 次回考察への導入
とはいえ、「神の試練」という制度がなぜ現在のような形で行われるようになったのかは、まだ謎が多く残されています。現段階では作中で語られていない謎が多く、しっかりと筋道立てて考察することは困難ですが、いずれ情報が明かされることを期待しています。
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